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生ける伝説!日本が誇るモンスターバンドXJAPANの歴史① 〜30年の軌跡〜

バンド紹介
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出典:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/x-japan.php

今現在進行形で日本のバンドで世界一有名なバンド。そう!!

「X JAPAN」!!!

今回は結成から30年以上が経った今でも世界中でファンを増やし続けるX JAPANの歴史を紹介していきたいと思います!

今回は解散までの1997年の解散までのX JAPANの歴史を紹介していこうと思います!

X結成 

XはX JAPANリーダーのYOSHIKIとその幼馴染でもありX JAPANのVo.を務めるToshlが高校時代に結成したのが全ての始まりです。YOSHIKIとToshlは幼稚園の頃からの幼馴染でもあり、当時日本に浸透していなかったロックを聴いていた(特にKISSがきっかけ)という共通点から友好関係がスタートしていく。

YOSHIKIとToshlのコンビがよく「すみれ組」と言われるのは当時の幼稚園が由来。

高校で結成されたXのメンバーは大学進学の影響により次々脱退していく。そんな中YOSHIKIも音楽大学への進学のためピアノに明け暮れる日々を送っていた。

ですがToshlはVo.としての自信をつけ始めておりバンドで成功するため、東京に行くという決断をとり、東京へ行くことにYOSHIKIも勧誘。

YOSHIKIはそれを承諾。音楽大学の推薦を捨ててバンドで成功する道を選択しました。

東京に、上京した後は東京でのネットワークを広げつつ、リーダーのYOSHIKIが「エクスタシーレコード」を設立。エクスタシーレコードは後にLUNA SEAやGLAYといった大物バンドを排出するがそれはまた別の話。

このあたりからHIDE、TAIJI、PATAといった現在の無敵なメンバーが加入してきます。それまではYOSHIKIとToshl以外はメンバーチェンジを繰り返していました。

X本格始動

大元のメンバーが揃ったXは「良い曲を作っても聴いてもらわないと意味がない」という考えからド派手なメイクのみならず過激なライブパフォーマンスでライブハウスで出禁になったりライブでVHSを無料配布、さらにはテレビ出演等の当時のロックバンドでは考えられない型破りなアイデアとマーケティング方法で認知度を上げていきました。

なおこの頃はプライベートの生活もド派手。数々の居酒屋で出禁になったという。

この時期に数々の面白い伝説が生まれていますがそれはまた別の記事にて。

そして最強メンバーでの初のアルバム「Vanishing Vision」リリース。インディーズレーベルでメジャーチャートにランクインするという日本初の快挙を成し遂げる。

Xの快進撃はまだまだ始まったばかり。インディーズに大きな爪痕を残した後CBSソニーと契約し、メジャーデビュー。「BLUE BLOOD」をリリース。たった1年で60万枚を売り上げた。その後もメディアへの露出を増やして認知度を上げて行ったがYOSHIKIがライブ中に負傷するアクシデント見舞われライブの延期が発表された。

さらにYOSHIKIがレコーディング中に椎間板ヘルニアを発症。レコーディングスケジュールに大きな狂いが生じる。さらには契約会社の株式上場の売り上げのためアルバム「Jealousy」に入る予定だった曲を一部断念。その後「Jealousy」をリリース。オリコン1位を獲得した。

TAIJI脱退とHEATH加入

日本人として初の東京ドーム3Daysライブ「破滅に向かって」でTAIJIの脱退が唐突に発表される。脱退理由は現在でも不明なままである。

その後CBSソニーとの契約終了。契約終了後アメリカ進出のためタイム・ワーナーと契約。さらにベースにHEATHが加入した。

ちなみにHEATHはXとしての初ライブが東京ドーム、初テレビが紅白歌合戦などの超肝っ玉ベーシストである。

ART OF LIFE制作期

アメリカ進出に向けて制作にとりかかったのは「Jealousy」に入れられなかった「ART OF LIFE」でした。

「ART OF LIFE」はボーカルのレコーディングに苦戦を強いられる。Toshlのレコーディングだけでも1年以上の期間を費やした。

アメリカ進出についてはToshlの英語の発音がうまく聞き取れないという問題が発生し、アメリカ進出を断念します。

しかし日本で発売する「ART OF LIFE」の曲自体は完成。嬉しさのあまりスタジオをメンバーで破壊する。

その後もアルバムの曲作りに専念するが制作が長期化し、資金繰りが難航。完成していた曲をシングルカットする等の苦肉の策で制作を続ける。

アルバムが完成しないままツアーを敢行。しかし、YOSHIKIの椎間板ヘルニアが再発し、ツアー断念を余儀なくされた。

その後アルバム「DAHLIA」をリリースしツアーファイナルを行った。

解散

ボーカルのToshlがYOSHIKIが求めてくる高いハードルに精神的に耐えられなくなっている時期に洗脳にあってしまう。この洗脳によりYOSHIKIをはじめとしたメンバーとあまりコミュニケーションを取らなくなってしまいました。

Toshlの脱退を受けX JAPANは解散。Toshlが脱退した後だったがHIDEがYOSHIKIやToshlを説得し、大晦日に「けじめ」として解散ライブを行う。解散ライブの後に紅白歌合戦に出場。ここでX JAPANの歴史は一旦幕をおろすことになる。

とまぁ自分なりに解散までのXの歴史をまとめてみました。

書いていてXは本当に信じられないくらいドラマティックな過去を持ったバンドなんだと改めて痛感しました!

こういった歴史も今もなおファンを増えし続ける理由の一つでもあると思います。

再結成後の歴史に続く!

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